カクシングループ採用サイト         ストーリー2-3代目社長 柳慎太郎- – カクシングループ採用サイト
「入社したその日に思ったことは、10年後には誰もいない!!だった」

3代目社長 柳慎太郎(当時副社長)はそう語った。

カクシングループ(旧ヤナギグループ)は柳泰永が創業し、息子である柳也主男が2代目の社長を担っていた。3代目社長の柳慎太郎は創業社長の孫にあたる。
柳也主男社長(現会長)の「早い段階から社長を継承する」という意向もあって、柳慎太郎は26歳にして副社長として2006年にカクシングループ(旧ヤナギグループ)に入社をした。

当時の会社は平均年齢が50歳。

入社当日の全体挨拶の際、目の前に広がるのは自分の父親と同世代、もしくはそれよりも年上の面々たちであった。当然柳慎太郎は最年少であり同年代の社員すらいない、そんな状況であった。

当時は定年退職が60歳の時代。平均年齢が50歳ということは10年後には殆どの社員が定年退職をしていることになる。
そして、社内の状況としては書類は乱雑。事務所内での喫煙やスポーツ新聞新聞の購読、ワイドショーが流れている。そんな状況であり、長らく若手社員も入社していないこともあって決して覇気があるとは言えない空気であった。

そこで柳副社長は二つの決断をする。

一つは「環境整備の導入」
もう一つは「新卒採用の開始」であった。
若干26歳で副社長として入社をした柳慎太郎は最初は手探りだった。あらゆる経営者のセミナーに参加をし勉強をした。
そこで出会ったのが「環境整備」であった。

これだ!と導入を決めてからはまず徹底的に事務所内の物を捨てた。その量はトラック4台分にも及ぶ。
そして毎朝の「環境整備の時間」を義務付け、役職や社歴に関わらず全員が事務所内を清掃する時間を設けた。当然社員からは不平不満の声が上がったが柳慎太郎は信念を曲げず徹底的に行った。

そして同時に行ったのが新卒採用であった。

活動初年度から採用には成功し優秀な学生が入社してきた。しかし、まず最初の壁はそこからであった。
今までに新卒採用をしたことがなかった上に社員の平均年齢は50歳。
大卒の新卒採用を教育する仕組みがなく、新卒採用の3期生までは全員が1年での離職、長くても入社3年以内に離職する結果となった。

転機は新卒採用5年目の頃。1名残った4期生と、5期生4名。この5名が3年の壁を突破した。

そしてその間にも毎年新入社員が入社してきたため、ここから年の近い先輩が後輩の面倒を見る文化ができ始めていったのだった。
「人を育てたことを評価する」「年功序列での抜擢は行わず、優秀な社員は年齢に関わらず役割を任せる」という方針によって、どんどん若手社員の育成が進んでいった。

新卒採用を始めてから18年が経過した今では毎年新入社員の入社があり、定着率も80%を超える企業文化となった。
3代目社長の柳慎太郎は「変化」と「チャレンジ」の社長となった。

長い歴史の良いところはそのままに、変化させるべくは勇気を持って変化をさせる。
そうすることで新たな付加価値をグループ全体で生み出していった。

長い年月を経てカクシングループは大きく変化を遂げた。
ガス屋から多角化経営に舵を切り、生活のすべてを扱う総合商社へ。車検台数は足立区でNo.1となり、建築ではセブンイレブンのほかにもワークマンや富士薬品など全国に店舗展開をしている企業との取引が始まった。

2024年9月。今までずっと目指していた「グループ3社すべての予算達成」、そして「経常利益1億円超え」を実現した。
2011年に社長に就任をしてから描いていた夢の一つを叶えた瞬間だった。

そして2024年10月1日。
60期を迎える節目に【社名変更】を発表した。
ヤナギグループ改めカクシングループとして新たなスタートを切った。

そこでも大きな変化があった。
「従業員の幸せ」に重きを置いている柳慎太郎は前代未聞の決断を発表した。それは「従業員一律ベースアップ5万円」である。
発表された瞬間、会場は大きな歓声に包まれた。雄叫びを上げる者もいた。そしてさらに「今後も予算達成を実現した暁にはベースアップをしていく」と明言をした。

社員が幸せになるにはお金が必要であり、また社員が熱量を持って働くにもまず希望が必要である。そして全員で出した利益は還元する。理想論ではなく、まずその一歩を実現することを社員全員の前で約束をした。

カクシングループは日本を超えて世界へ。
カクシンリョクで世界を豊かにすることをミッションに掲げて新たなるスタートを切った。3代目社長柳慎太郎はこれからも変化とチャレンジを続けていく。

ストーリー一覧へ戻る